「ああ」
私の口から、そんな言葉が漏れた。
左手首から先を失って、自分の血と返り血に濡れた自分の体を見下ろしてから目の前に倒れている男を見下ろす。剣帝、テュール。その名を欲しいままにしていた帝王は、私の前で死骸となり命を失った。
「終わっちゃった」
落胆、感動、歓喜、追悼、酩酊、悲哀。いくつもの感情を胸の中で燻らせて、私は呟く。
そう。終わったのだ。私の幸せだった日常は。この、剣帝の死と、共に。
22歳の秋
「が!?」
「ああ。どうも、誰かと戦って勝ったもののかなりの負傷らしくてな……」
教師の言葉にディーノが目を瞠る。あの、がかなりのケガを負うなどディーノは初めて聞いた。いつだって彼女は最強であり、ほとんど無傷でどんな強者との戦いでも生き延びてきたし勝ち続けてきたのだから。勝った、ということに安堵し、負傷という言葉に大丈夫だろうか、と不安になる。
そわそわとするディーノの姿に、担任は1つ息を吐き出して地図を渡す。が入院している、病院までの道のりが記された地図を。
「行くか?」
問いかけられて、珍しく優しい教師にディーノは驚きながらも地図を受け取って嬉しそうに笑った。
「はいっ!!!」
会いに行こう。きっといろいろと考えすぎて、また難しい顔をしているんだろうから。
だから、言わなくちゃいけないんだ。誰でもなく自分が。ずっとこの場所で、彼女と一緒に嫌だ嫌だと言いながらそれでもやってきた自分が、彼女に。
お疲れ様、頑張ったね。勝ったんだね、おめでとう、と。その言葉が何よりも彼女を救うことを、ディーノだけが知っているのだから。
*******************
「いいのかぁ?」
問われて、私は涙が出そうになるのをこらえながら頷く。いつの間に、こんなにあの人に私の心は占領されてしまっていたんだろう。ただ、これだけのことで、これほどの喪失感を胸に抱くだなんて……私らしくない。そう言ったところで、この気持ちは消えてくれない。
(泣きたい)
純粋な気持ちが胸の中で溢れて、泡のように消えていく。失いたくない、と叫ぶ心を私はなかったことにしなくてはならない。それを言い聞かせるために、この真っ暗闇の場所にいる。
後ろでは兄さんが壁を壊そうと躍起になりながら私を心配そうに見ていた。心配してくれるのは嬉しいけど、これは私の問題。それを兄さんも理解しているから、後悔しないのか、という意味でさっきみたいな問いかけをたまに投げかけてくる程度。それが今は、本当にありがたかった。
「ごめんなさい……」
囁いて、闇の中でどこかを仰ぐ。空も天井もない場所だということを改めて実感して、少しだけ怖くなった。なんて、ここは底なしなんだろう。
「ごめんなさい」
頬を伝った涙は、一筋だけ。それが私が私に許した、甘えだった。
「面会……拒絶?」
「はい」
受付の者にそう言われて、ディーノは呆然とする。どうして、教師はそんなこと一言も言わなかったのに。しかもそれはの意思だという。自分は何か、彼女を怒らせてしまうようなことをしたのだろうか。
どうして、と。その思いを受付の人にぶつけかけてそれをなんとか抑えこむ。ぶつけるべきは、だ。どうしてこんなことをするのか、ちゃんと問いただす必要がある。退院したら絶対に何か奢ってもらおう、と決めてディーノは受付の人に伝言を頼んだ。
「あの、すみません」
ずっと続くと思っていたから。変わらない日常が、ずっと、卒業する日まで続くのだと無条件に信じていたから。だからディーノは、知らずに最後の引き金を引く。
扉に誰か近付いてきた気配に、私は意識を浮上させた。だるい体をなんとか上半身だけでも起こして、扉が開くのを待つ。受付の者を纏めている女性が入ってきて、私に、伝言を預かりました、と言ってきた。
「『勝ったんだってな、おめでとう』」
そのセリフを、一字一句違えることなく彼女は紡ぐ。その口調に、私はそれが誰かをすぐさま悟り目を見開いて言葉を待った。
「『言いたかったのに会わせてくれないなんて酷くないか? 退院待ってるから、絶対に何か奢れよな』」
太陽のような眩しい
「『最後に。お疲れ様、。言いたいことあるから、ちゃんとオレんとこ来いよ』……だ、そうです」
「ありがとう」
私が礼を言うと頭を下げて出て行く。ヴァリアー系列の人だから、私の事情も何もかもを把握した上での行動のはず。結構、いい性格はしているみたいね。
ディーノからの伝言を胸の内で繰り返して、私は大きく息を吸って吐き出す。『お疲れ様』という言葉に、いっきに心が軽くなっているのを自覚して、おもわず自嘲の笑みを漏らした。本当に、ディーノは私のことをよく分かっていると思う。だから、一緒には、いられない。
(戻らないと)
退院までに壁を壊してしまわなければ時間がない。睡眠は疲れを取るものであって、こうも夢でさらに疲れていたんじゃあ体がそのうち壊れてしまう。だから、今のうちに。
目を閉じて、私は意識を暗闇に沈めて真っ暗闇の夢に戻る。兄さんが私を見てにやり、と笑い。私は復元されている左手に剣を出現させて見えない壁を見据えた。剣術は、完成した。私なりの、私だけの剣が。繊細に、可憐に、されど凶暴に。
「行くわよ、兄さん」
「待ってたぜぇ、その言葉をなぁっ!!」
ぶん、と兄さんは剣を大きく振って。私も鞘から抜くように動かして構えた。
「
「
2つの技が交錯して。見えなかった壁に亀裂が走り、可視のものとなり。それに私と兄さんはにやり、とほくそ笑みながら剣を構えなおす。なんだ、こんなにも簡単に壊れたのね。私は内心だけで呟きながら、剣を突きの形に向けて。私達の最後の技が、同時に壁を貫いた。
「
「
そして、壁は崩れて。私達は光に包まれて、一瞬意識を夢の中で失った。
*******************
左手首は失ったままに、ある程度の治療を施されて私は病院を出て行くこととなった。左手の復元は不可能。それが病院からの答であり、私自身覚悟していたことでもあったから別にどうでもいい。義手を作る、という未来は知っているんだから作る場面だっていつかあるでしょう。
《で、これからどうするんだぁ?》
兄さんの声が内側から聞こえてきて、私は少し悩んだ。
壁を壊してから、私と兄さんは予想通り肉体の支配権を譲り合えるようになった。それだけじゃなく、私が支配権を持っている時この体は『女性体』に、兄さんが持っている時は『男性体』になるらしい。都合のいい話だから嬉しい限りだけど。
私の傷跡は兄さんに引き継がれたりしないのに、左手首だけはお互いに失ってしまっていた。それが予定調和、ということなんでしょう。
「ディーノに、会わないとね」
《……大丈夫なのかぁ? お前》
大丈夫よ、と軽く答える私。覚悟は定まった。それ以外に必要なものなどないんだから、やるべきことを私はやろう。
「何も言わずに、別れたくないの」
それが私の我が侭だとしても、これだけは譲りたくない。最後の言葉と約束くらいは、彼に渡してここを去りたい。なんてエゴ、と自分で自分を罵りながら私は学校の屋上を目指す。夕方の学校は静かで、部活をしている人しかいない。暗くなりつつある夕暮れの空に目を奪われて。そして私は屋上の上から日が沈みゆく様子をずっと眺めていた。
日が沈むとほとんど同時に、屋上の扉が開いたことに気付きながら。
「……」
沈みきった太陽を見てから、彼は私に声をかける。
「どうして、面会拒絶なんか……」
「ねえディーノ」
言葉を無視して、私はディーノを見る。ありがとう、と言いたい。大好きだった、と言いたい。彼がいてくれたおかげで、私はちゃんと救われた。この居場所のない世界で、生きてててもいいのだと確信できた。
「さよなら、みたい」
すでに渡されていた黒いコートが風を受けてひるがえる。ヴァリアーの隊服であるそのコートを見て、ディーノは私とそのコートを交互に、何度も大きく見開いた目で見た。
私は私の運命がある場所に行く。キャバッローネにそれはなく、ヴァリアーにそれはあった。だけど、それだけで私はこの道を選んだつもりは欠片もない。
「どうし、て……」
「これが私の、選んだ道だから……かな」
笑うと、どうして!! とディーノが叫ぶ。私が彼の立場でも、同じような反応をするだろう。だけど、もう私は戻れない。テュールと戦い、ヴァリアーに入隊することが決定してしまったのだ。戻れない道を、私は、進んだ。
「さようならよ、ディーノ」
「そんな、どうして……!!」
ちっ、と私の中で聞こえる舌打ち。自分の体が青い炎に包まれて、私の意識が切り替わる。すなわち、表の存在から裏の存在に私の『存在』そのものが切り替わった。
「なよなよとうるせぇっ!!」
「え……?」
突然男になった私に、ディーノは驚きを隠せない。
「お前、誰だよ」
「こいつの兄だぁ!」
兄さんは盛大に怒っているらしく、心が燃えているのを感じて私は少し離れたくなった。無理なんだけどね。嘘の感覚だって分かってても暑い気がして。
「ディーノ、だったなぁ?」
こく、とディーノが頷く。完全に雰囲気に呑まれてしまった彼は、どんな言葉を返せばいいのか分かっていないみたいだった。ダメじゃない、ディーノ。もっと成長しないと。
「こいつの誓いを、一番近い場所に居たお前が穢すんじゃねぇ!!!」
その言葉に、ディーノが何かを突かれたようでひゅっ、と鋭く息を呑み。兄さんは言うことは言った、という風に私の中に戻って行った。何がどうなったのか、そしてその言葉がどんな風にディーノに作用したのか私には理解できないままに私の意識が今度は『表』に切り替わり、体も女のものに戻る。
きゅ、と唇を噛んだディーノの姿に罪悪感が湧き出してくるのを止められはしなかった。ああ、私は、なんて酷いことをこの人にするんだろう。改めて実感して、自分の醜さを感じてしまった気分。
そんな私は。ありがとうもごめんなさいも、全部の言葉を飲み込んで彼に1つの言葉を残していく。
「22歳の、秋に……」
「え?」
「22歳の秋に、また会いましょう」
屋上の柵に立って、私は笑う。22歳の秋、それが何を意味するのかちゃんと私は分かっているし、それがどんな時期なのかだって把握している。だけれど、再開も再会もこの瞬間だから。だからこの日を、約束する。
絶対に、会う瞬間。私が『スクアーロ』である限り、必ず、その瞬間は訪れるだろうから。
「バイバイ、ディーノ」
屋上から私は飛び降りて。ディーノが急いで駆け寄ってきて、屋上の柵から私を見下ろす。はらり、と数粒の涙が月の光を弾いて煌き、そして彼は叫んだ。
「――――――っ!!!!!」
私も泣きそうになりながら、木の枝になんとか着地して学校から出て行くために走り続ける。彼の声の余韻が胸に響き続けて、どうしようもないくらいに切なかった。
《》
兄さんに呼ばれて、私は兄さんに意識を傾ける。
《後悔はねぇのかぁ?》
その言葉に、不敵な笑みを私は浮かべた。
「当然、よ」
指先で涙を払い、私は前を見据える。
そんなものがあるのなら、こんな道を選んだりはしない。さっさと楽な道を選んで、ディーノと一緒にキャバッローネで頑張っていたことだろう。後悔はしない。ちゃんと、私は私の選んだ道を行く。それが私の、生き方。
「当然、なんだから」
こうして、私の短い学生生活は終わりを告げた。
あとがき
これで時雨の第一部は終了となります。シリアスなエンディングですが元々この予定でした。ディーノとはこれでお別れ。気の毒ですが仕方ありません。だってヒロイン、ヴァリアーですから。
そしてやっぱりヒロインは『鯱』になりました。学校で辞書をひたすら漁ったところ、イタリア語で『鯱』は『orca』だそうです。これってやっぱり『オルカ?』ということでこうなりました。一応女名だそうですよ。翻訳サイトはあんまりアテになんないなぁ……やっぱり(最初変な単語出てきた)
第一部の訳は『学生時代』になります。そして舞台はヴァリアーへ、入隊し揺りかごまでを第二部では描かせていただきます。私の文章力でどこまでいけるのかは甚だ疑問ではありますが……頑張ります!
では、次の更新でー!
09/04/23